六畳と郵便受け

深夜三時が境目の感情

ぼくはいつまでぼくという存在に苦しめ続けられるのだろう

 

ニルメが逃げ道のはずだったのに気づけばニルメが負担になっている

ぼくはなに?ニルメって何?性別きまぐれ?そんなのぼくの意識下でしか関係無いじゃん、

みんなにとってはぼくは男、か女、であって、でもわたしは紛れもなく女で、なのに、男として接されるのも女として接されるのも、どっちもきつい

顔面に対してかわいいね、は消費されている感があるから良い

乙女だね、かっこいい、おにいさん、

ぼくをみた上で評価されると消費されてるはずなのに「違う!ほんとのわたしはちがう!」って出てくるこの意識はなに?

 

一人称によって性別なんて変わんねーよ

声の高低差によって性別なんて変わんねーよ

 

女です、紛れもなく、女

吐きそうだね

どうせならどっちかに振り切ってしまいたかった

カテゴリとかにいつも苦しめられて

カテゴリで見にくる人も変わって

その人たちはそのカテゴリだから見てるわけで

女って言ってしまうことで楽になる事と、しがらみになる事、どっちも知ってるから

 

割り切れる人はうらやましいなあ

ぼくはわたしもぼくも、女も男も割り切れない、中途半端な自分のことも割り切れない